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周恩来は毛沢東に従い続け

文化大革命(プロレタリア文化大革命)が勃発しても周恩来は毛沢東に従い続け、走資派(実権派)のレッテルを張られた劉少奇らの粛清に協力した。有力幹部の殆どが失脚、または死亡する者さえいた中、周恩来は最後まで地位を保った。文革の勃発時に共産党政治局常務委員(党の最高首脳)だった者の中で、最後まで一度も失脚しなかったのは毛沢東を除けば周恩来と陳雲、朱徳だけであった。但し、後の二人は実際は何の実権も無い名誉職であった。周恩来は毛沢東の路線に従い、毎日紅衛兵を接見して指示を与えた。劉少奇を「敵のスパイ」と決め付ける党の決定を読み上げたのも周恩来だった。
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その一方で周恩来は文革の「火消し屋」として紅衛兵の横暴を抑えようとした。紅衛兵が北京の道路を「右派に反対する」と言う理由で左側通行に変えさせた為、交通が大混乱に陥った時も、周恩来が介入して止めさせた。また故宮を紅衛兵が破壊しようとした際にも、軍隊を派遣し文化遺産を保護した。更に出来うる限り走資派のレッテルを張られた多くの党幹部を保護しようと努めた。例えば1968年8月26日、外相の陳毅が紅衛兵に襲われそうになったとき、周は「君たちが陳毅を吊るし上げるのなら私は前に立ちはだかる。それでもまだ続けたいのなら私の身体を踏みつけてからにせよ!」と叫び、身を挺して守った。

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2009年06月30日 00:52に投稿されたエントリーのページです。

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